法華経
「法華経」は、正しくは「妙法蓮華経」といいます。
インドでお釈迦さまによって説かれた法華経は、 西暦406年、中国の鳩摩羅什によって漢文に訳されました。
その後、日本に伝わった「妙法蓮華経」は、 聖徳太子の著書「法華義疏」のなかで仏教の根幹に置かれるなど、 最も重要な経典として扱われます。
そして鎌倉時代、日蓮聖人によって「妙法蓮華経」は末法救済のためにお釈迦さまによって留め置かれた根源の教えであると説かれました。
「法華経」は全部で二十八品からなっています。
この「品」とは章立てのことで、各品に「序品第一」「方便品第二」というようにそれぞれの名前と順序が示されています。
また「法華経」は思想上の区別から『迹門』と『本門』の二つにに大きく分けられます。
さらにそれぞれが「序分」「正宗分」「流通分」の三段に分けて解釈されるため、これを「二門六段」といいます。
『迹門』は序品第一から安楽行品第十四までの前半の十四品で、「開三顕一」などが説かれています。
「開三顕一」とは「声聞」「縁覚」であっても「菩薩」と同様に成仏できるという教えです。
「声聞」と「縁覚」の修行者は、自分自身の悟りの世界のみを追求するために成仏することが許されませんでした。
対して「菩薩」は自らの修養のみならず他人に対しても教えを説き、功徳を与えようとする求道者のことです。
お釈迦さまが法華経以前の経典において、声聞乗・縁覚乗・菩薩乗という三つの異なった修行のありかたを示されたことや、説法を受ける人の能力にあわせてさまざまな教えを説いてきたことは、実はすべてが一つの教えに帰結することに導くためであったことが、この『迹門』のなかの「方便品第二」を中心として明かされます。
そして、この一つの教えが「一仏乗」の教えであり、声聞・縁覚、善人・悪人、男性・女性などという別を超え、すべての人々が救済され、成仏できるという教えなのです。
『本門』は従地湧出品第十五から普賢菩薩勧発品第二十八までの後半の十四品で、「開近顕遠」などが説かれています。
「開近顕遠」とは、お釈迦さまは、歴史上実在し菩提樹の下で悟りを開いた人物、というだけではなく、実は「久遠実成」の仏、つまり五百億塵点劫という久遠の過去に悟りを開き、永遠の過去から永遠の未来まで人々を救済しつづけている「本仏」である、という教えです。
お釈迦さまが永遠の存在であるということは、諸経で説かれる諸仏はお釈迦さまの分身であるということになります。
したがってお釈迦さまこそ唯一絶対の仏、すなわち「本仏」である、ということがこの『本門』のなかの「如来寿量品第十六」を中心として明かされます。
「法華経」は、この「二門六段」という分け方のほかに「二処三会」という分け方をすることもあります。
お釈迦さまは、古代インドのマガダ国の首都、王舎城の東北にそびえる「霊鷲山」という山で「法華経」を説かれました。
「序品第一」から「法師品第十」までは、この「霊鷲山」において「法華経」が説かれる場面なので「前霊山会」とします。
つづく「見宝塔品第十一」から「嘱累品第二十二」は、地上から虚空へと場面が移り、ここで「法華経」が説かれるので「虚空会」とします。
「薬王菩薩本事品第二十三」から「普賢菩薩勧発品第二十八」までは、ふたたび地上にもどり「霊鷲山」において「法華経」が説かれる場面なので「後霊山会」とします。
この二つの場所と三つの場面を「二処三会」といいます。
なかでも「虚空会」は特に重要な場面で、お釈迦さまは空中にあらわれた「七宝の塔」の中に入り東方宝浄世界の仏である「多宝如来」とともに座して「妙法蓮華経」の中心的な教えを説かれます。
「虚空会」では、「勧持品第十三」において「妙法蓮華経」弘通の困難の予言、「従地湧出品第十五」において「本化菩薩」の湧出、「如来寿量品第十六」においてお釈迦さまの「久遠実成」の顕示、「如来神力品第二十一」において「本化菩薩」への「妙法蓮華経」弘通の付嘱、などが説かれています。
「妙法蓮華経」は、単なる経典の名前ではなく、お釈迦さまの教えが最終的に帰結した大法であり、「妙法蓮華経」の妙法五字の中にこそ、お釈迦さまの功徳のすべてが含まれています。
したがって「南無妙法蓮華経」というお題目を唱え「妙法蓮華経」に帰依することによって、すべての人々の「即身成仏」が約束されるのです。